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      MAIL MAGAZINE  梟雑話

       2002/05/29  [002]

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 ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
                 山頭火の句
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  ふまれてたんぽぽひらいてたんぽぽ  山頭火

  けふのみちのたんぽぽさいた  山頭火

 私は昭和20年2月札幌郡豊平町字平岸に生まれた。
 札幌市の郊外であった平岸は祖父母が開いた林檎園をはじめ周りはほとんど
が林檎園であった。
 北国の遅い春はモノトーンの林檎園を一面のタンポポの黄色と緑の絨毯にか
え、まずすももと梨の花が咲きやがて淡いピンクを帯びた白い林檎の花盛りに
なり馥郁たる香りに包まれる。
 私たち子どもはその中でタンポポにシロツメクサの模様を入れて花冠を編ん
だり、長い長い縄に編んで縄跳びをして遊んだものだ。 今のように季節を問
わず野菜があった時代ではなかったので、春一番の若いタンポポの葉を摘んで
おひたしにして食べたり、ヨモギも摘んだ記憶があるので母は団子やぼたもち
を作ってくれたのだと思う。
 林檎吹雪(?)と散り敷かれた花びらの絵はそれはそれは美しかった。

 タンポポ編んだ冠に淡い林檎の花がふる懐かしい古里なつかしい母  
                             北耀
    (これは1992年書展で賞をとった作品の私のフレーズです。)

 22年前に母は早々とあの世へ旅立ってしまった。私の三番目の息子を見た
あとふた月足らずでの事であった。以来父は一人暮らしで早来という町でダリ
アの品種改良を続けている。新しく生み出した品種は何百あるであろうか。
その一つ一つにロマン溢れる名前を付けて子どものようにかわいがっている。
この色、形にはこれ以上ぴったりの名前はないというようなものなのだからど
の花も素晴らしい。母がなくなった時に咲いた紫系統の花は母の名前をとって
バイオレットキミと命名された。
 来年は90歳というのにまだ耕耘機を動かしているのだから大したものであ
る。私は子どもたちがそれぞれ家から離れた2年前から春と秋に父を手伝って
いる。 いま庭には鶯がなきヒヨドリがボケの花をつついている。時々タタタ
タタときつつきの音、チチチチチと愛らしい声はなんという鳥だろうか。ピン
クのつつじの花の中をかさかさと動き回っている小鳥はなんだろう。朝起きて
窓をあけ、日に日に緑濃くなる落葉松の林を一方に畑と庭を一方に見て深呼吸
する幸せはなにものにもかえがたいように思う。十日ほど前からドラム缶を埋
め込んだ蓮池で蛙が鳴くようになった。

  だまってあそぶ鳥の一羽が花のなか  山頭火

  水のうまさを蛙鳴く  山頭火
         

 ご購読ありがとうございます。一号は不慣れなためふくろうの句を繰り返し
いれてしまいました。息子に教えてもらいながらの作業でまだまだですが、こ
れからもお付き合いください。もう少し早く発行するつもりで書いておりまし
た二号お読みください。

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    著者 佐藤北耀

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