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      MAIL MAGAZINE  梟雑話

       2002/06/22  [006]

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 ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
                 山頭火の句
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 虻田郡真狩村(あぶたぐんまっかりむら)は歌手細川たかしの出身地として
後に知られるようになったが、その頃は馬鈴薯、ホワイトアスパラガスを主産
物としてその他いろいろな野菜を作る蝦夷(えぞ)富士と呼ばれる羊蹄山の裾
野の村であった。
そこより前方羊蹄といわれる尻別岳(しりべつだけ)に向かって山道を約8キ
ロ2時間ほど歩くと美原である。

 朝な夕なに見る私たちの蝦夷富士は本州の富士山に劣らぬ美しい山だった。
 雪のない時期があったのだろうが、記憶のなかの羊蹄山はその深い山襞にい
つも雪があったように思う。羊蹄山に綿帽子のような雲がかかることがよくあ
った。澄み切った空気のなかのその姿は青い王様のようだった。

  窓が夕映えの山を持った  山頭火

  人の声して山の青さよ  山頭火

 農場の各家では鶏、山羊、羊、豚などを飼っていた。我が家もまもなくして
鶏を飼い卵を毎日食べるようになった。でもこれが私にとっては少々たいへん
なのである。ちょっと気の荒い雄鶏にびくびくしながら鶏小屋に入って餌をや
ったり卵を集めたりするのである。4人兄弟の一番上の私は、お姉ちゃんお姉
ちゃんと母に言われてなんでも手伝わされていた。

 これらの家畜は大事な栄養源であったので、どういう時にであったかは忘れ
たが豚や羊を殺して肉にすることがあった。子どもたちはそのニュースを聞き
つけてわいわい集まって見に行くのである。女の子で見に行く子は私ぐらいだ
った。少し後ろのほうで手で顔を覆って指の隙間から見るのである。
やがてその肉がおすそ分けで配られて食卓に上ると、はじめの内はなんだか気
持ちが悪かったが何度も見るうちにだんだん平気になってそのようすを話した
りして叱られたものだった。

 農場では牛を飼っていた。畜舎に缶や瓶を持っていって毎日しぼりたての牛
乳を分けてもらっていた。学校の行きしなに缶を置いて帰りに取ってくるのだ
が、学校が休みのときは朝と午後と畜舎まで行くのが億劫だった。
鍋で沸かして飲む牛乳は上に分厚い脂肪の皮を浮かせてクリーム色をした濃い
ものでおいしかった。

 この農場に若い獣医さんがいた。4、5頭のホルスタイン牛と農耕用の馬が
10頭位いたろうか、その面倒を見ていた。
ある時その獣医さんが白衣の袖を肩までまくり上げて腕を雌牛のお尻に突っ込
んでいるのを見た。便秘でもしたのかと思っていたが、どうやら妊娠の状態を
調べていたようであった。幼心に獣医さんてなんて汚いことをしなければいけ
ないのだろうと思ったものだ。

 やがて生まれてきた子牛が雄であると、しばらくすると肉にされて各家に届
けられた。かわいそうな事ではあったが私達にとっては貴重な蛋白源であった。

  青草ひろく牛をあそばせあそんで(い)る  山頭火

  枯草の牛は親子づれ  山頭火




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    著者 佐藤北耀

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