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      MAIL MAGAZINE  梟雑話

       2002/07/01  [008]

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 ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
                 山頭火の句
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緬羊の衣替え

殆どの家で緬羊を飼っていた。私のうちでも1頭の雄の緬羊を飼うようになっ
た。これがまた大変な羊なのである。気性が荒いので、外に連れ出すことが難
しく、家畜小屋兼物置から、板戸一枚の開け閉めで外に出られるようにした柵
で囲った小さな放牧場を作り、小屋の中には柵で囲った狭い寝場所がある、そ
の中で飼われていた。

本格的に冬になり雪で閉ざされると、その狭い寝所から出られなくなって運動
不足で体力があまっていたのか、彼はその柵をどすーんどすーんと頭突きする
のだ。私たちは名前を「家のドン突き」とつけた。よく柵を壊していた。

餌は草を毎日鎌で刈り取って与え、冬が近づくと一冬分の草を皆で刈り取って
乾かして物置の天井裏に蓄えておく。ちょうど緬羊の寝所のうえに四角い穴が
作ってあり、そこから干草を落として餌を与えるのだった。

5月の末だったと思うが、毎年天気のよい日に留寿都(るすつ・・今は冬のス
キーをはじめレジャーランドになっているようだ)の方から緬羊の毛を刈る人
たちがやってきた。糸切ばさみを大きくしたような鋏を持って、順番に家々を
回ってくる。

「家のドン突き」も呆気なく御用となって、前足どうし、後足どうしをロープ
で縛られて地面に仰向けに転がされて、馬乗りになった職人さんに毛を刈られ
るのである。
ひっくり返されたらおとなしいもので、別に暴れもせずにされるがままである。
職人さんはチョキチョキ、チョキチョキそれは見事に刈り上げる。(何年かし
て電気バリカンに代わったがバリカンだとあっという間に刈り終わった。)

一年かかって丸々となって、一年分の汚れもたっぷりくっつけた毛はみるみる
刈り上げられ、あらあら、あの「家のドン突き」はこんなに痩せだったのかと
思う姿に変わるのだった。
その肌はピンク色でまだまだ薄ら寒いのに外套を剥ぎ取られてしまって丸裸に
された姿は痛々しく見えた。
ロープを解かれるやぱっと飛び起きて逃げるところを見ると怖かったんだろう。
刈られた後風邪を引くわけでもなかった。

刈られた毛は、くるくる丸められて目方を量り引き取られる。売ろうと思えば
売れたんだろうけれど、どの家も美しいグラデーションの色見本をもらって、
好みの色、太さの毛糸を選んで注文すると、ほどなくして毛糸が送られてくる。
これでお母さんたちは、家人のセーターや帽子、手袋、靴下、腹巻、パンツな
どを来るべき冬に備えて編むのである。

小さくなったセーターなどはほどいて板に巻いてかせにして、釜に洗剤を入れ
たお湯を沸かしその中で煮て洗い、すすいで干しあげると編み癖も殆ど取れて
新しい毛糸のようになる。この光景を思い出すと酢の匂いがしてくるところを
見ると、酢も入れていてのかもしれない。

古いのも新しいのも全部かせの状態なので、私たちはかわるがわる手だの足だ
のを貸して、毛糸を玉に巻いていく母の手伝いをしなければならなかった。
時々こんがらかった糸を、あっちにくぐらせこっちにくぐらせて、母は巻いて
いくのだが、手や足がだるくて仕方がなくなるのである。
ぴんとかせを張っていないと叱られた。

その古毛糸と新毛糸を組み合わせて母は家族みんなの冬物を作った。
一日の仕事が終わって夜すこしずつ編むのだが、編むのの早いこと早いこと、
時々髪に竹の編み棒をくぐらせて滑りをよくしては編んでいく。手袋や靴下な
どは二夜でできていた。
私も子どもを持って編物をずいぶんしたが、母のようには早く編めなかった。

この緬羊は、父の転勤によって農場の皆さんの胃に納められ、今は古ぼけた毛
皮になって父の家にある。私は中学生になって親戚に預けられていたので食べ
ずにすんだが、どんな味だったのだろうか。

  ふるさとは遠くして木の芽  山頭火

  かるかやへかるかやのゆれている  山頭火

  ほころびを縫うほどにしぐれる  山頭火

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一昨日父にお供して農業研究センターの見学に行った。
会場で刈り取られた緬羊の毛を欲しい人は好きなだけ袋に詰めて貰えるサービ
スをしていた。
私も懐かしい思いですこし貰ってきたが、こんなに臭いものであったかと思っ
た。
緬羊が体から出す脂で光った毛は内側はクリーム色に近い白で外側は排泄物の
汚れで黒っぽくそれが臭うのである。
私のなかの昔の物置の光景は、そのとき臭いも伴ったものになって蘇った。

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    著者 佐藤北耀

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