##################################################

      MAIL MAGAZINE  梟雑話

       2002/07/22 [011]

##################################################
 ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
                 山頭火の句
##################################################

オオウバユリ

去年初めてオオウバユリの花を見た。
道路沿いの藪の中に、一段と背が高く1メートル7、80センチ程もあるの茎
の先、7、80センチの間に水平に四方を向いて、ユリのような大きな緑白の
花がぎっしりと30個ほど付いていた。

植物図鑑で調べると、オオウバユリ(ユリ科)であった。

その二週間ほど前に、図書館で借りてきた更科源蔵氏のアイヌ文学の生活誌に、
アイヌの神謡、伝承が載っていて、そのなかの一つに、氏も非常に感動された
という、屈斜路コタンの老婆が語ったコノハズク(トキト・カムイ・・・トキ
トとなく神)の悲しい物語があった。
その話にオオウバユリがでていた。

どんな花か気になっていたので、この偶然に驚き大感動したのである。
今まで見た花の中で、葉の大きさといい、花数、背丈、花のしっかりさなど一
番立派に思えた。写真も沢山撮った。

6月初め頃、今年咲くだろう株は、直径5センチ余の球形の蕾をつけていた。
ラジオでアイヌの人々の暮らしに関する番組を聞いたが、昔は6月になると、
花の咲く前のオオウバユリのりん茎を部落をあげて掘りに行き、潰して水に晒
して澱粉を取り、残りかすは平べったい円形にして、真中に穴をあけて乾燥さ
せて紐をかけて吊るしておいて保存食としていたそうである。

今見に行ってみたら、先日の草刈で一本だけ残して見事に刈り倒されていた。
その一本が十数個の花をつけてた。
球形の蕾からどのように花が咲いていくのか、観察しておくのだったと今頃悔
いてももう遅い。

今回は山頭火の句ではなく、日本語に直して掲載されていた、その美しく悲し
い物語をお伝えします。

            ***********

  祖母(フチ)は孫娘をつれて、初夏の森の奥にウバユリ堀りに行った。
  祖母がウバユリの球根を掘っている間に、小さな孫は、森の中に咲いてい
  る星のような花をとって遊んでいるうち、二人はいつのまにか離ればなれ
  になってしまい、それきり孫娘は部落に戻って来なかった。
  それからしばらくして、夜の部落の裏山で、

      フチ トキット(祖母ちゃん トキット)
      フチ トキット(祖母ちゃん トキット)

  と祖母をよぶ声がするので、夢中になって声をたよりに行ってみると、高
  い木の梢の上から声がするので、朝まで待ってみると、梢の上に小さな鳥
  がとまっていて、小鳥の流す涙で下草の白い花がぐっしょり濡れていた。
           
           (屈斜路コタンの老婆が語った悲しい物語)

            ***********

北海道に生まれて育ったのに、私はこのような神謡や伝承を聞いたことがなか
った。
小熊の子守唄、梟、カッコ−など、動物が生活に密着していた事がよくわかる
唄(?)が多い。
私たちの子供の頃はアイヌの人については、学校で歴史の中でちょっと習った
くらいで、神謡や伝承など聞いたことがなかったと思う。
中学の修学旅行でマリモ伝説を知ったくらいであった。
今もそうなのであろうか。

先日前々から行ってみたかった野幌の開拓記念館に行ってきた。
亡母の兄(故人)が、入り口正面の壁画を描いていたからである。
古代から現代までの資料は、一日がかりで見なければならないほど沢山有った。
アイヌの資料も沢山あって、オオウバユリの保存食の、輪にして縄をつけたも
のも見てきた。
必要なものを自然(神)から、必要なだけいただく。
質素で素朴なアイヌの人たちのいろいろな知恵を見てきた。

世界中の原住民の人たちのつらく厳しい歴史も思いだされて、複雑な思いであ
った。


###################################

    著者 佐藤北耀

###################################