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      MAIL MAGAZINE  梟雑話
       2002/11/04  [026]

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 ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
                 山頭火の句
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菊薫る

美原で父は趣味で菊作りをしていた。黒い素焼きの菊鉢に小さな苗を植えて、
一本の茎から三本の枝のように茎を仕立てて、朝な夕なに手入れをして秋には
大きな厚物の花や、細く華奢な花弁の花を見事に咲かせていた。
花の付け根には針金で作った二重三重の輪台を取り付けて、大きな花を支えて
いた。

大きな肉厚の菊の葉は、香りよく美味しいもので時々天ぷらにして食べていた。
今でも大きな菊の葉を見ると、食いしん坊の私は昔の味が思い出されて天ぷら
にして食べたいなと思う。
初冬菊も終わりになるころ、白い花と黄色の花はむしり取られて湯がかれて酢
の物の材料になった。

美原の学校は私が移り住んだ頃は真狩小学校の分校であったが、1年ほどして
新校舎が出来て村立の小学校になった。
新しい校舎は体育館も図書設備もある立派なものだった。
体育館のなんて広くて天井の高いこと、玄関も広く下駄箱が並んでいる。

広い廊下に沿ってまず校長室兼職員室があり、教室が二つそして体育館。
分校の小さな建物に比べて非常に大きく思われた。
数年前美原を訪れたが、むかし住んでいた家のなんと小さかったこと、あれほ
ど大きいと感じた学校のなんと小さかったこと、必死で直滑降で滑り降りた山
(?)のなんと小さく低かったこと。昔々の物語である。

授業は複式授業で、校長先生が1年、5年、6年生を一つの教室で教え、若い
先生が2年、3年、4年生をもう一つの教室で教えていた。
家庭科は校長先生の奥さんが教えていた。
一学年の生徒は多くて5、6人少なくて2人と全校合わせて25人もいたであ
ろうか。
昨年は生徒が数人となって廃校問題が取り沙汰されたと聞いたがどうなったの
であろう。

年に何回か真狩の小学校で合同の行事があった。
記憶に残っているのは運動会と文化祭である。
幌をかけたトラックに乗って行った。
高学年の何年生の時だったか忘れたが、文化祭で「文化の日父丹精の菊薫る」
という句で賞をいただいた。
今思えば文化の日と菊の季語が重なっているが、私には忘れられない句である。

結婚して関西に住むようになって、菊人形と言うものをはじめて見た。
時代劇の場面を人形に菊の花の衣を着せて表現したもので、千個もあるのでは
なかろうかと思われる菊の花は、色合い良く、花の形、大きさが見事に揃って
いる。
枯れていたり欠けていたりすることのない完璧な花の衣装は、どうやって作る
のか不思議であった。

1メートル以上もある懸崖の菊の美しさ、盆栽に仕立てられた風情のある菊、
1本の茎から円形の傘のように作り上げられた100個、200個と花の数を
競う千輪仕立てという菊にも驚いた。

夜汽車で菊の電照栽培の温室の灯りが点々と灯るのを見たことがあるが、人間
はいろいろなことを考えるものだと感心したものだ。

クリサンセマム(マム)・・シカゴで家庭の植え込みに良く使われるのは色の
種類の多い小菊が主である。
園芸店でファーマーズマーケットで手ごろな値段で売られていた。

隣りのギリシャ人の奥さんのファーストネームはクリスといった。
菊を買ってきて植えていたら、「私の名前はクリサンセマムの意味」だと教え
てくれた。
日本人なら「キク」さんと言うとことになるのだろう。
洋裁店を営む背の高い美しい人だった。


  ちよいと茶店があって空瓶に活けた菊  山頭火


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    著者 佐藤北耀

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