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      MAIL MAGAZINE  梟雑話
       2002/12/02  [030]

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 ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
                 山頭火の句
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風呂

30才代以上の多くの人が、風呂や温泉の湯につかった時に、「ああ、極楽極
楽」と思ったり言ったりするそうな。
かく言う私もその一人である。
重労働の後、神経を使った仕事の後、寒さで体が冷え切った後の風呂はなにも
のにも代えがたいものだ。

昔は風呂も週2回くらいしか入れなかった。
小さい頃、家には風呂がなく隣りの本家に貰い湯に行っていた。
美原に引っ越して初めて家に風呂のある生活になったが、それがなかなか大変
な風呂であった。

風呂場は母屋から3、4m離れた物置の中にあった。
家の台所の蛇口に長い鉄管を2本だったか3本だったか忘れたが、その都度つ
ないで風呂に水を張り薪を燃やして湯を沸かす。
夏は良いのだが零下20数℃にもなる冬場は大変だった。

裏口は鉄管があるので、風呂に水を張り終わりバケツに数杯の水を汲み置くま
で閉めきるわけにはいかないので台所は外と殆ど同じ温度になる。
鉄管をはずす時は手が張りつくほど冷たい。
新聞紙を丸めた上に焚付けを置いて火をつけ、度々行っては薪をくべて湯を沸
かす。

お湯が沸くと父か母が湯加減を見て先に入っているところに、私達子どもは順
番に母屋で裸になって、バスタオルを引っ掛けて長靴はいて風呂場へ走る。
寒いので湯はどんどん冷めるので薪をくべながらの入浴である。
窓の辺りまで雪が積もっている時は、窓を開けて洗面器で雪を取って熱くなっ
た湯をうめたり、軒に下がっている太いツララをとって湯に入れて遊んだりし
たものだ。
体を洗って充分温まった後はバスタオルを巻いて母屋に走る。
今は懐かしい思い出である。

中学3年、札幌の小さな家に戻った。歩いて6、7分のところに千成湯と言う
銭湯が出来た。タイル張りの大きな浴槽に溢れる湯は、お風呂の日を心待ちに
させた。冬の寒い日の風呂帰りは、濡れた髪の毛がバリバリに凍り、濡れたタ
オルがバリバリに凍る。温まって赤くなった頬が外気の冷たさで真っ赤になる。
カシオペアや北斗七星、北極星を見ながら歩くと流れ星がすーっと流れたりし
て兄弟で見たの見ないのと言い合ったりして楽しかった。
銭湯通いは新しい家ができるまで4、5年続いた。

20数年前8ヶ月ほどブラジルのホテルに滞在したときは、シャワーだった。
夕方皆一斉にシャワーをする時間帯は、高い階の部屋の湯は勢いがなくなり段
々冷たくなってくるので、頃合を見計らってシャワーしなければならなかった。

田舎のコーヒー農場に一泊したことがあった。
赤土のぽこぽこしたその辺りは水が少ないようで、シャワーと言っても高いと
ころに取り付けた蛇口からチョロチョロでてくる水で体を洗うのである。
お湯は大きめな器に沸かした湯を持ってきて使う。
土ぼこりも気になったが、子供だけシャワーさせてもらって私達は遠慮した。

コーヒー農場では大人と子供合わせて10人くらいの使用人がいたが、電気も
ない小川沿いの粗末な家に住んでいた。
小高くなった斜面を利用して、背丈ほどの高さのコーヒーの木が植えてあるの
だが、赤いのやまだ青いのやらの熟した実は、その使用人たちが素手でしごき
取っていくのである。
真似してやってみたが素手で取るのは大変だった。

昼になると農場主の玄関先にしつらえてある板を取り付けた腰掛のある休憩室
のようなところで、料理された骨付きの鶏肉一片とパンを貰って食事をとる。
シャワーなど勿論ないから小川で体を洗うのだと言う。
まるで奴隷のような生活だと思った。生きるために毎日朝から晩まで子供も働
いているのを目の当たりにしたのだった。
農場主は収穫の忙しい時は泊り込み、あとは時々見まわりに来るそうで農場に
は息子夫婦を住まわせて、町に大きな家屋敷を持っているのだった。


さてアメリカでは、どんな家でもシャワーは夫婦の主寝室につながって一つ、
そのほか二階や地下室などについている。
地下室には大きなボイラーがあってお湯もたっぷりと勢い良く出る。
バスルームとかレストルーム言われるそれは、ドアで仕切られているかカーテ
ン付きの浅いバスタブのあるシャワーが、洗面台とトイレと一体となっている。

私が住んだ築後90数年の家には、主寝室の隣りに映画で見るような白い琺瑯
のバスタブがあるバスルームがあった。
それは洗面台とトイレの間に据え付けられてあり水とお湯の蛇口がある。
映画では泡いっぱいのバスタブで体を洗って温まって後はバスローブを羽織っ
てと言うシーンを良く見るが、湯船の外で体を洗ってから湯につかる習慣の日
本人にはちょっと真似はできない。シャワーの後時々利用した。

肉食が主のアメリカ人は体臭もきついようで、ボディソープ屋の前を通ると、
数え切れないほど種類の多い商品のにおいが混ざり合って、むせるような時に
は気分の悪くなるような強いにおいがして慣れるのにずいぶんかかった。
食文化の違いで体臭も違うのである。

余談だがブラジルでは肉を良く食べた。中華も日本食も高いのでどうしても肉
食が多くなる。体格も良くなったが毛深くなった。帰国して数ヶ月すると毛深
さはもどったが、体格は戻らなかった。
ブラジル人が研修で来日して2ヶ月ほど滞在したホテルの部屋は、獣くさい匂
いがしみついて壁紙と絨毯を取り替えなければならなかったのである。

山頭火の句には湯の句がたくさんある。温かい湯で一時身も心も癒されて清め
られている様子がうかがわれる。

  あかつきの湯が私一人をあたためてくれる  山頭火

  さみしい湯があふれる  山頭火

  つかれた脚を湯が待ってゐた  山頭火  

  よい湯からよい月へ出た  山頭火

  ずんぶり温泉のなかの顔と顔笑ふ  山頭火

  朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし  山頭火

  残雪をふんできてあふれる湯の中  山頭火

  つかれもなやみもあつい湯にずんぶり  山頭火

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    著者 佐藤北耀

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