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      MAIL MAGAZINE  梟雑話
       2002/12/23  [033]

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 ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
                 山頭火の句
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クリスマス

街もテレビもラジオも、クリスマス、クリスマスと賑わっている。
シカゴで目にした街中のクリスマス電飾、家々のドアのリース、庭に置かれた
数々のクリスマスフィギュアが思い出される。

隣家の大家であるギリシャ人夫婦が、飾りなさいとたくさんの電飾を持ってき
てくれた。「クリスチャンではないので」と言うと、「構わないから賑やかに
飾ったほうがいい」という。
ダウンタウンの街路樹には、梯子つきの車が数日かけて電飾をほどこしていく。

派手な家は暖炉の煙突に、今にも入りそうなサンタクロースを取り付けたり、
屋根の上に、トナカイが引く橇にサンタクロースが乗っている大きな置物を置
いてある。
凝った家になると、トナカイが引く橇に乗ったサンタが、ゆっくりと芝生から
屋根に上り、上るときにはライトアップされるという電動の仕掛けの物もあっ
た。

かと思うと芝生中にローソク、クリスマスの飴でおなじみの赤と白でねじり上
げたスティック、サンタクロース、スノーマン、トナカイなどプラスティック
の置物を林立させている家もある。
キリスト誕生の厩のようすの置物を庭においている家も多かった。

近くの街では、家々が電飾を競い合って有名になった一角があり、毎年多くの
見物者が訪れるところもあった。
一つ一つは小さな電球であっても全米合わせるとこの時期の電力の消費量は相
当なものであろうと思った。

シカゴダウンタウンのシアーズデパートは、一周すると一つの話が完結する子
供向けの物語のシーンを全ショウウィンドウに飾り付け、デパートの周りには
それを見ようと毎年親子づれが列を作る。
話の種にと一度訪れたがその時のお話しはピノキオであった。
大掛かりな飾りつけは、最初の年はニューヨークで次の年はロサンゼルス、そ
してシカゴにと巡回してくるのだそうだ。

さて、私達にとってクリスマスの記憶は、昭和20年代の後半の美原からであ
る。12月になると父は山へ行ってツリーにする松を切ってきた。
2メートルほどの姿のよい木である。なんという種類の松であったか覚えてい
ないが、雪の中を引きずって持ってきた。

台を取り付けて奥の部屋において皆で飾り付けをした。
その頃は電飾は家には無かったので、飾り付けるものは星やベル、赤青緑黄色
などの薄いガラスで出来た玉、サンタクロース、ステッキなど紙やセルロイド
でできたものだった。

ぴらぴらした金銀赤緑などの長いモールを松に絡み付けて、ちぎった綿を松の
所々と台にのせて、てっ辺に大きい星をつけて完成である。
父母はそんな飾りを何処で何時手に入れたのだろうか。
キリスト教系の女学校を出た母が、父の出張の折にでも買わせて用意したのか、
親戚の人が送ってくれたものだったのだろうか。

イヴには枕元に靴下を置いて寝た。
翌朝目が覚めると、それぞれにお菓子とささやかなゲームや本などのプレゼン
トが置いてあった。サンタクロースがいるとずっと信じていた。

農場長の家はクリスチャンであった。おばあさんが熱心な方で、クリスマスに
は小学生を招待してクリスマス会をしてくれた。おやつと鉛筆、ノートなどを
いただいてお話しを聞いたり歌などを歌ったりした。学校で習った歌のほかに
聖夜、ジングルベル、ノエルなど教えられて歌った。

外は雪がしんしんと降り、松は皆雪の綿帽子を被り、ポツリポツリと点在する
家々の灯りがかすかに見える、雪明りの小さな小さな集落の静かなささやかな
クリスマスだった。

  寒空とほく夢がちぎれてとぶやうに  山頭火

  暮れてゆくほほけすすきに雪のふる  山頭火

  雪のあかるさが家いつぱいのしづけさ  山頭

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    著者 佐藤北耀

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