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      MAIL MAGAZINE  梟雑話
       2003/01/06  [036]

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 ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
                 山頭火の句
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御来光

父は若い頃から山歩きが好きで、札幌近郊の山々をはじめ道内の山は良く歩い
たそうである。
ニセコには冬の間長逗留したこともあるようで、特に詳しいようだった。

スキーは昔風の滑りではあるが、どんな深い雪でもこなして、農場で働く若い
人などにスキーを教え込んだようで、今でも父のおかげでスキーの楽しさを知
ったと言う人に会うことがある。

あれは小学6年生の冬だったと思う。父に連れられて4年生の弟とニセコに冬
山スキーに行った。
比羅夫という駅で降りて山田温泉に荷物を置いて、滑り止めにアザラシのシー
ルをスキーの裏面に張って、ニセコアンヌプリに登った。

その頃は今のような防寒服もなく、下着やセーターを重ね着して、母が編んで
くれた毛糸の手袋、靴下、マフラー、帽子にスキーズボンに布製のヤッケとい
う服装だった。

途中から冷えてきたのと天候が悪くなってきたのとで、毛糸の手袋は汗と雪で
だんだん湿っぽくなってきて雪がくっ付き、手は凍えて痛くなり頬は真っ赤、
ゴム製のスキー靴の中の足も汗をかいたのが冷えてきて、弟と私は泣きながら
父に従った。

もうこれ以上は無理というところまで頑張って引き返そうという時に、3人の
パーティがやって来た。
彼らは道に迷い途方にくれているところだった。
その辺りは雪庇が多く危険で、雪の状態を熟知している父に従って全員無事に
山田温泉に帰りついた。

その人たちは東京からきた大学の先生で、温泉に一緒につかりながら、父が神
様のように見えるといって感謝していたと後から聞いた。
苔むした温泉に冷えた体を温めて、冬山の厳しさと父の偉大さをつくづく思っ
たものである。

翌日はアンヌプリに登って、反対側に降りて五色温泉に泊まった。
朝方早く宿の主人の「ごらいこー、ごらいこー」、という大きな振れ声で目を
覚ました。
朝日が昇るのを「御来光、御来光」と教えてくれたのである。

山で生活をしている人にとって、朝日が昇って一日が始まる、まさにお日様が
昇っていらっしゃるその瞬間を崇めるその気持ちが、宿の主人の野太い声に聞
き取れた。
そして今でもそのときの宿の目覚めと声が思い出されるのである。

二十歳の頃の夏、会社の仲間の女性6人ほどで利尻に行った。
島に渡る小さな船は荒波に揺れて、たちまち船酔いでほとんどの人がまいって
吐き出した。
私ともうひとりの友人も最後まで頑張ったがついにダウンした。

宿で早寝して、夜中に懐中電灯を持って皆で利尻富士に登った。
2時間ほども登ったか、ぼんやりと白んできて、登るほどに明るさが増して、
見れば足下、眼下には一面の雲海が広がっており、やがて朝日が出た。
「御来光」これを見るために来たのであるから、皆で歓声をあげたのは言うま
でもない。
雲海を下に満足げに写真を撮った。若い日の思い出である。
「御来光」いい言葉だ。

  一りん咲けばまた一りんのお正月  山頭火

  水仙いちりんのお正月です  山頭火

  今日から新らしいカレンダーの日の丸  山頭火

  水音の、新年が来た  山頭火

  誰かきさうな雪がちらほら  山頭火

  

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明けましておめでとうございます。
年賀状をホームページのトップページに載せました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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    著者 佐藤北耀

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