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      MAIL MAGAZINE  梟雑話
       2003/01/20  [038]

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 ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
                 山頭火の句
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スキー

初めて履いたスキーは、小学一年生の冬、札幌の平岸小学校の雪遊び会で、蜜
柑拾いの時の、25cm(?)ほどの竹スキーだった。
竹の幅は5cmくらいだったろうか、曲げてある先の部分に、長靴の足先を引
っ掛けて滑るものだったが、今でも有るのだろうか。

美原で本当のスキーに乗り始めたのだが、その頃のスキー板は、エッジに金属
などのついていないただの板のスキーだった。
父が親戚などから貰い受けてきたもので、エッジ部分も磨り減ってすっかり丸
まったもので、それでも器用に回転などもこなしていた。
靴は今のように深いものではなくて、くるぶしあたりまでの丈のゴム製の紐靴
だった。

前留具は靴幅に固定した金具に、革バンドで靴先を押さえるようになっており、
やはりその金具につけられた、靴の寸法に合わせた金具つきの皮ベルトを靴の
かかとに回して、バチンと留めるものだった。
スキー靴がなくても長靴でもできるものだった。
のちにカンダハという留具になったが、どちらもかかとの上がるもので、滑り
にも走りにも便利なものだった。

家の中の女の子の遊びが嫌いだった私は、家に帰ってランドセルを放り出して
スキーを履いて、スキー場になっていた小さな山(丘かな)で、暗くなるまで
スキー、スキーの毎日だった。
上級生の男の子達に負けじとついて滑った。

アザラシのシールをつけて父と尻別岳に登った。
ジグザグに雪を漕いで登って行くと汗だくになった。
途中、兎の足跡があちこちにあり糞が落ちていて、時々真っ白い兎を見ること
があった。
冬毛の兎は本当に真っ白で、じっとしていると気がつかない。

尻別岳の上の方には、巨大な樹氷がお化けのように立っている。
天気のよい日に登るので、頂上につくと私達の集落は、遥か遠くに小さく見え
た。
真っ白い大自然の中に、なんと小さな生活の場だろうと思った。
反対側を見ると、洞爺湖や有珠、虻田のあたりの海が、遥か遥か遠くに金色に
光って見えた。

美しい青空のすぐ下で腰をおろして、おにぎりや蜜柑、林檎など食べて昼食を
とった後、深雪を滑り降りる。
まず父が滑り始めそれに従うのであるが、あるとき先に行った父が見当たらな
かった。

ちょうどロシア民話の熊の話を読んだばかりだったので、急に恐ろしくなった
が、声を出して呼ぶことも出来ず、必死に降りていったら、父は雪まみれにな
って転んでいた。
今思えば、熊なんか冬眠の最中でいるわけがないのに。
深雪に転ぶと息も出来ないほどで、首や背中まで雪が入ってくる。
しっかり埋って、起き上がるのが大変だった。

天気のよい日、学校の行事でスキー大会があった。
直滑降、回転など競って、最後に距離走リレーがある。
小高い丘を登って、走って、滑って汗だくになるが、ここが根性の見せ所と、
ポイントに立っているおじさんたちに励まされながら、皆必死に走った。

昼食は父兄の方が、鍋、食材、水、薪などを運んで甘酒と豚汁を作ってくれた。
大鍋はおじさんの背中に括りつけられて、亀の甲羅のようだった。
子ども達の持ち物はおにぎりと湯のみ茶碗、どんぶりと箸である。
大鍋で作られた豚汁は格別にうまく、みんな真っ赤なほっぺで、鼻水をすすり
ながら夢中で食べた。
甘酒も疲れを取ってくれておいしかった。

陸の孤島のようなところだったけれど、みんなの愛情に包まれて、幸せな子供
時代だった。

  あれがふるさとの山なみの雪ひかる  山頭火

  枯れすすき枯れつくしたる雪のふりつもる  山頭火

  たうたう雪がふりだした裏藪のしづもり  山頭火

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    著者 佐藤北耀

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