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      MAIL MAGAZINE  梟雑話
       2003/02/17  [042]

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 ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
                 山頭火の句
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ブラジル1

1975年1月、2歳の長男を連れてブラジルのベロホリゾンテにいった。
地球の裏側のブラジルは真夏で、日本を経ったままの服装の私達は汗まみれ、
おまけにほぼ24時間の飛行機で、途中、ロスアンゼルス、ペルーのリマで一時
降りて、また乗り込んで、その都度出てくる食事にすっかり体調を壊してよれ
よれでついた。

当時日本の企業は海外に提携先を見つけて、どんどん進出していた。
私と息子は先に行っていた夫と8ヶ月余り、ホテルに滞在した。

当時ブラジルは、幼い子を連れては少々不安な衛生状態だった。
街には路上生活をしている人も多く、信号などで立ち止まると、肩を叩かれ振
り向くと、赤ちゃんを抱えた女性が哺乳瓶を突き出してお金をくれと言う。
どこで暮らしているのか母子ともに真っ黒に垢まみれであった。

道端に寝ているおじさんは、包帯を巻いた足が異様に膨れて膿んでいたりした。
レストランの裏では、子どもや大人が残飯を漁っていた。
繁華街には女子供の物乞いが沢山いて、松葉杖をついたり、いざったりしてお
金を貰っていた。
この子らは殆どが体が悪いわけではなく、演技をしているのだった。

テレビではアニメなどの合い間に政府が、手を洗いましょう、顔を洗いましょ
う、歯を磨きましょう、シャワーをしましょうと注意を促していた。
治安も悪くてスリ、たかりも多く、歩く時は毅然として隙を見せないようにと
いわれた。
お巡りさんが来てくれても、犯人は大抵ピストルを持っているので、むこうへ
逃げましたと言っても反対方向へ追いかけていく、命にかかわるので何もして
はくれないと言うことだった。

人種のるつぼのこの国では貧富の差が激しかった。

ホテルのメイドさんも、良くない人は金品を持っていくので、気を付けていな
いといけなかった。
町外れの山にへばりつくようにして、ファベーラと言われる居住区があって、
粗末な家に住んでいる人たちが、個人の家やホテルのメードさんとして働いて
いると言うことだった。
個人的には人懐っこいいい人達なのだが、家族ともども食べていくには、勤め
先のものを失敬しなければならなかったようだ。

典型的なラテン系の情熱溢れる男女は、夕方ともなると道端で、バーの店先で
夜の更けるまで語り合っていたのが印象的だった。
外食しに行って数時間経って戻ってきても、同じ場所で同じ様子で語り合った
り抱き合ったりしていた。
混血が盛んなので女も男もスタイル良く、彫りの深い顔をしていた。

  生きてゐるもののあはれがぬかるみのなか  山頭火

  いづれは土くれのやすけさで土に寝る  山頭火


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    著者 佐藤北耀

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