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      MAIL MAGAZINE  梟雑話
       2003/05/19  [055]

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 ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
                 山頭火の句
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山菜

爪も指も山菜のあくに染まって汚い。
素手でなければ仕事をした気にならないので、父のところに来るといつも指先
はがさがさで、いくら洗っても染み込んだ汚れが取れない。
もともとごつい手がここ数年の農作業でどう贔屓目に見ても男だか女だかわか
らぬような手だ。

家の近くの山菜もこの2週間ほどで順々に伸び出してきた。
この季節、山菜を摘んできて食卓にのせるとなんだか小銭を稼いだような気に
なる。

朝歩きをして最初に見つけたのは「こごみ」だった。
これは湯がいて胡麻和えが一番だと思っている。
そのあと土を持ち上げてちょっぴり顔を出した「わらび」を横目に見て、まだ
少し若いと思える「ふき」を摘んできてさつま揚げと生椎茸といっしょに煮物
にしたが、柔らかくてふき独特の香りが弱い。

子どもが小さい頃、よく摘んで遊んだ「つくし」を生まれて初めておひたしに
して食べた。
茎は苦味も少なく何の味もないように思ったが頭の部分がかなり苦かった。

今年は食べなかったが去年初めて食べた「ふきのとう」も苦かった。
ふきのとうは今はすっかり大きくなってほほけて綿毛をつけて、めっきり勢い
がなくなってきた。

数日前朝歩きして「わらび」を見にいった。
短目のものも含めて100本ほど摘んできた。
薪ストーブでできた灰をかぶせて熱湯をかけてあく抜きをして、翌朝味噌汁の
具にした。

蕗も蕨も発癌物質があるときいているので、たくさん食べてはいけないと思う
のだが、春をいただくという意味で心の栄養としてもこの時期の楽しみだ。
むかしは「たらのめ」もあちこちにあったのだが、今は枯れた木ばかりでほと
んどなくなった。

これは他所からきた人が全部採っていってしまうためだそうだ。
種の保存、翌年の楽しみのためにも少し残してくれるとよいのだが、たまに小
さい芽がついているのがあるなと思ってみていても、数日するともうなくなっ
ている。
2年程前には先に刃物がついた長い棒を持った人が、高いところの芽を採って
いるのを見た。

いずれにしても根こそぎとってしまうのは良くない。
蕨などは採るのが楽しくて、塩漬けにしておいても結局は捨ててしまうような
ことを何度もした。
昔の人がやっていたように、食べる分だけ採るのがよいのであろう。

1週間ほど前に霜の降りた日が2日あって、畑の隅の出始めた「やまうど」が
すっかりやられて茶色になって萎れてしまった。
だめかとおもっていたらまた伸びてきている。
去年はかなり大きくなっても先のほうを採って、毎日のように食べた。
うどは酢味噌で食べるのがよい。

母は山菜やキノコが好きな人だった。
生前「私が死んだら何もいらないから山菜やきのこを供えてちょうだい」とよ
く言っていた。

その母の闘病中に蕗を食べさせたことがあった。
ちょうどソ連で蕗には発癌物質があることを発見したと言うニュースが発表さ
れていた頃で、母のお兄さんに「蕗なんか食べさせて」とお叱りを受けた。
その叔父も昨年あの世の人になってしまった。

  蕨がもう売られてゐる  山頭火

  けふは蕗をつみ蕗をたべ  山頭火

  こどもといつしょにひょろひょろつくし  山頭火

  をちこち畑うつその音もめっきり春  山頭火

  春寒く疵がそのままあかぎれとなり  山頭火

  われをしみじみ風が出て来て考へさせる  山頭火

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    著者 佐藤北耀

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