##################################################

      MAIL MAGAZINE  梟雑話
       2003/09/08  [066]

##################################################
 ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
                 山頭火の句
##################################################

息子が置いていった青春18切符の残りを消化するべく、室蘭本線岩見沢行き
を皮切りに一日旅に出た。
なにせ普通列車しか利用できないのだから、綿密に接続を調べたが、首都圏や
関西と違って、いかに列車の便が悪いかよくわかる。

8時51分最寄りの早来駅を出発、沿線にはハンゴンソウがびっしりと黄色に
咲き続き、成育の遅れたトウモロコシ畑が続く。
安平を過ぎ追分に近くなると、ハンゴンソウとセイタカアワダチソウが混在し
て沿線を飾っている。

本州なら彼岸花の時期だろうが、オレンジ色の似たような草丈の花が畑の縁に、
沿線の雑草に混じって咲いていたが、それは野生のユリだった。
ススキは穂が出て風にそよいでいる。
追分を出て間もなく右手に夕張山脈が見え始めたが、明け方まで雨が降ってい
たので頂きは雲に隠れ、中腹辺りに雲が棚引いている。

三川を過ぎて古山(ふるさん)駅に近づくと右手は水田で、まだ青々している
田が多く、黄色っぽくなってきている田はあるが、まだ実を結んで穂を伸ばし
ているようには見えない。
低温と日照不足による冷夏の影響は大きいようだ。

点在する牧草畑には、刈り取られた牧草が、白や黒のビニールに覆われた大き
なロールで転がっている。
何でもこの塊一つが1万5千円ほどだそうである。
野菜、果物、米まで一晩でごっそり盗まれる事件が続いているが、こんなに転
がしておいて盗られはしないだろうかと父に話したことがあったが、こんな重
いかさばるものを誰が持っていくと一笑にふされた。

由仁を過ぎて栗山に着いた。
中学1年から3年の初めまで親から離れて過ごしたところだ。
美原は僻地で小学校しかなく、中学生になると隣の真狩の村で集団の下宿生活
になるのだが、心配した親が子どものいない親戚に預けたのである。
当時の栗山は田舎町であったが、今では何かと話題の多い町でよくテレビで紹
介される。

母親がついてきて入学の手続きなどを済ませて帰った後は、寂しくて泣いてい
たのを思い出す。
それまで山を駆けずり回って遊んでいた私は、それほど高くはない家の前の電
信柱に登って近所の人を驚かせ、叔父叔母にも苦笑された。

担任はハンサムな温厚な先生で学校は楽しかった。
当時は学期のテストがあるたびに廊下に成績を張り出され、同学年の子と張り
合ってよく勉強もした。

将来国体の選手になれると顧問の先生が言ってくれて、張り切ってやっていた
体操クラブは、そんなことをしていたら男の子のようになると、叔父が勝手に
先生に申し出てやめせられたのは、今思っても残念だ。
女らしくということだったのか、茶花道を教えていた叔母は忙しく、食事の支
度、トイレ掃除、お茶会の手伝いといろいろ仕込まれた。

山出しの私もだんだん乙女らしくなって周りの視線が気になりだした。
机の中に何やらラブレターらしき紙切れが入っていたり、登校して校舎に近づ
くと2階から上級生の男子生徒に口笛をピーピー鳴らされたりした。
内気だったので真っ赤になってしまって、今日こそ見つかりませんようにとよ
く思ったものだった。

そんなこともあってか人前で発表したり、意見を言ったりするのが苦痛で、ド
キドキ、口の周りはヒクヒク、頬は火照り声は震えるのが学生時代ずっと続い
たのである。
とうの昔に叔父叔母も亡くなって、家屋敷も人手に渡り縁がなくなった地であ
るが、思い出は良いことも悪いこともたくさんあるところだ。

よほど栗がとれたのであろうか、昔から面白いなと思っていた続きの駅の栗丘、
栗沢を過ぎた頃から、日当たりのよいところの稲は色濃くなり、稔って頭を垂
れ始めている。
岩見沢では乗り換え時間が少しあったので駅前を歩いてみたが、商店街は閑散
としてさみしかった。

旭川行きに乗り換えて光珠内(こうしゅない)を出てすぐに、田んぼの上をア
オサギが一羽低く飛んでいるのを見た。
そしてかっては隆盛を誇った炭鉱の町美唄を過ぎ、どの辺が炭鉱だったのかそ
の跡らしいものが見えないかと左右を見たが、のどかな田園風景が続くばかり
でわからなかった。

茶志内という小さな駅についた。
駅舎の屋根には赤く錆びた鉄製の雪止めが幾つも青い屋根にひときわ目立つ。
左前方に見える山はなんという山であろうか、秋雲の浮かんだ晴れて来た空が
美しい。
やがて左手にコンチェルトホールと書かれた田舎の風景に不似合いなほどの近
代的な建物が見えて、駅舎も駅前も寂しい奈井江に着いた。

豊沼を過ぎて、次は中学の頃東洋高圧の硫安を造っているところを見学に来た
ことがあった砂川に着いた。
錆びた鉄製の高い橋脚の上に、駅舎から続く屋根、壁のある寂れた長い連絡路
が、今は線路が取り払われて丈高い雑草の空き地をまたいで向こうに降りてい
た。

滝川で45分停車というので降りてみた。
大きなスーパーの屋根看板が見えたので行ってみたが、8月31日をもって完
全閉店という案内看板があって、じき取り払われるという宝くじ売り場だけが
ひっそりと営業していた。

ベルロードというアーケードのある商店街もさびしく、いままで通過して来た
駅の寂しさも手伝って、暗い気持ではずれまで行って戻ってきた。
昔風の百貨店に立ち寄ると、洒落た帽子を被りドレスアップした婦人客がいて
なんだか不思議な気がした。
暫らく行くと、むこうからもう一人少し違うスタイルでドレスアップした年配
の人が来てまたまたびっくりした。

北海道が想像以上に不景気なのか、それとも住宅街が旧市街地から郊外に移っ
て人々は車を持つようになって、鉄道離れが進んで駅前はさびれてしまったの
だろうか。
江部乙を過ぎた頃から、この辺りも日当たりのよいところの稲は黄金色になり
穂を垂れている。

妹背牛(もせうし)は駅に花がたくさんあり、駅前もきれいでほっとした。
妹背牛をでて暫らく行くと左手の遠くの山の方に大きな町が見えた。
沿線には黄金色の田圃の間の所々に、グリーンのカーテン状の作物がある。
昔平岸で見たホップのようだが、今頃になってもまだ実をつけないのだろうか。

駅を二つ過ぎるといよいよ旭川の郊外に入ったようで、大きな町になって近文
(ちかぶみ)という駅に着いた。
そして石狩川を渡ると終点旭川、ビルもたくさんあり都会の風景を目にしてな
ぜかほっとした。
駅近く沿線に並んでいるナナカマドが色づいていた。

  萩がすすきがけふのみち  山頭火

  風は何よりさみしいとおもふすすきの穂  山頭火

  旅のすすきのいつ穂にでたか  山頭火

  百合咲けばお地蔵さまにも百合の花  山頭火

  秋の空から落ちてきた音は何  山頭火

  藪をとほして青空が秋  山頭火

  秋晴れて草の葉のかげ  山頭火



###################################

    著者 佐藤北耀

###################################