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      MAIL MAGAZINE  梟雑話
       2003/09/15  [067]

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 ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
                 山頭火の句
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青春18切符の旅(2)

普通列車の心地よい振動にうとうとして、2、3駅過ぎてしまったようだ。
テンションの高い男の声に目が覚めた。
どこから乗り込んだのか、空席の多い朝の普通列車の斜め向かいの席に男女が
座っているようだ。

背もたれの陰の女が、「そんなに辛い酒を飲んで良いの」と言った。
目を上げてみると、雨に濡れた紺色のズボンの裾を膝下まで捲り上げた、妙に
人懐っこい色気のある目をした初老の男がにこにこ顔でカップ酒を飲んでいた。

「俺はこのカップ酒が好きでね」と言って、男は半分ほど飲んだ。
そしてがさがさと買い物袋から何かを取り出してセロファンを剥いて口に入れ
ると、女にも一つくれた。
上機嫌の男はどこに行くのかと聞いている。

どうやら女は病院に行くらしい。
「この手が治らないと働きにもいけない」、「どうしたんだ」、「湿疹がひどく
て治らない」、さすっている女の手が見える。
「目も悪くてそのうち眼底検査も受けなくてはいけない」と女が言う。
「そうか、大変だな」と男が身を乗り出して言う。

さっきから停まっている列車は停車時間が長いようで、女は飲み物を買ってく
ると言って立ち上がって、向こうの入り口のほうに歩いていった。
男はカップ酒の残り半分を飲み干すと、買い物袋を開けてもう1本のカップ酒
を取り出して、その半分を更に飲んだ。

なかなか女は戻って来なかったので席を替えたのかと思ったが、ショルダーバ
ッグの鈴をちゃらちゃらならしてやがて戻ってきた。
それは眼鏡をかけた十人並みをやや外れた容貌の、背の低い小太りの女だった。

やがて列車は動き出して、二人はまた話しはじめた。
「どこそこの何さんはまだ元気に働いているべか」、「ああ、元気に働いている
よ。綺麗な人だよね」。
男は昔漁師をしていて、今は年金暮らしで夫婦で食べていくにはまあ充分だと
いうことや、お互いに知っている人のことなどを話しているようで、列車の音
の合間にとぎれとぎれに聞こえてくる。

男はまた何やら頬張って残り半分の酒を飲み干した。
「また飲む。朝からそんなに飲んで」と女が咎めている。
再びうとうとして列車が止まって目が覚めると、二杯の酒で顔を赤くした男は
身を乗り出して女と熱心に話をしていた。

「遊びに行かないか」少し控えた男の声がはっきり聞こえた。
動き出した列車の音で、女がなんと答えたか聞こえなかったが、「ああ、嫌わ
れた」、こちらを向いている男の声が聞こえた。
しばらくして男は「まずいか、父さんにわかったら困るか」と言って、女は何
か言っているようだったが、次の瞬間男は真顔になった。

「母さんに電話しなくては。おじさんが朝から酒を飲んでいると」、「そんな
こといわんでくれ」、どうやら奥さんに知られては困るらしい。
更に女は「私は正直な人間だから電話するよ。町で女と遊んでいるよといって
やらなきゃ」と続けた。
男の顔は別人のようにこわばって蒼白になっていた。

終点が近づくと「さっきのこと、またいつかどこかで出会ったらね」と女が抑
揚のない声で言った。
「そうだな、またいつかどこかで巡り合ったらな」男はうつろに言った。

列車が止まると女は立ち上がり悠々と歩いていった。
男は力なく歩いて後悔の背中で階段をゆっくり上り始め、太い足の女との間は
どんどん離れていった。


           ***********

  朝酒したしう話しつづけて  山頭火

  「とかく女といふものは」ふくらうがなきます  山頭火

  ふるつくふうふう酔ひざめのからだよろめく  山頭火

  ほろほろ酔うて木の葉ふる  山頭火

  酔ざめの風のかなしく吹きぬける  山頭火

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    著者 佐藤北耀

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