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      MAIL MAGAZINE  梟雑話
       2003/09/29  [068]

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 ふくらうはふくらうでわたしはわたしでねむれない
                 山頭火の句
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指紋

13日夜から吹き荒れた台風14号は、前日まで咲き誇っていたダリアを見事
になぎ倒して去った。
強い風に、夜中に起きて懐中電灯をもって出てみたが、どうにもなるものでも
なかった。

寝不足の一夜が明けて畑を見て絶句した。
大きな花をつけていた大輪はぼきぼきと折れ倒れているし、風が複雑に巻いて
いたようで、その通り道だったと思われるあとの花々は無惨に倒れていた。

「台風14号のトシコさんよ、ひどい事をやってくれたね」思わずつぶやいた。
私はこの台風を、14号にかこつけてトシコと命名した。
できるだけ修復しなくてはと思って古い麻縄を引っ張り出して、適当な長さに
切って束にして、鋏と蚊とリマットとともに腰に括りつけて、支柱にする竹を
持って畑に出て倒れている花をおこしはじめた。

一列おこすのに結構時間がかかる、生ものだから無理に力をかけるとボキッと
音を立てて折れてしまう。
なかには風で花も葉もちぎり取られて茎だけになっているものもある。
トシコさんの悪戯はめちゃくちゃだ。
そっとおこして支柱が必要なものには竹を添えて、紐で括っていくのだがなか
なか思うようにおきてくれない。

台風一過の空はぎんぎんに晴れて、朝飯前の2、3時間の仕事は朝露と汗でぐ
っしょり濡れる。
食事を終えて休む間もなく次に使う紐を切らねばならぬ。
手持ちの麻紐が無くなって千歳に車で買いに行ったが、麻紐は余りにも高価で
ポリプロピレンの縄紐を買ってきた。

朝5時半から寝るまで、食事時間以外は紐を切りそろえるか、畑で花をおこす
作業の毎日になった。
果てしもない作業に何度やめようかと思ったか、土に寝ている花の下のほうか
ら葉や花が腐っていくのを見て、自分以外に助けてやる人はいないし、毎年見
に来てくださる人もがっかりするだろうと気を取り直した。

数日すると縛ろうとして両の手に持っている紐がするっと逃げる、いらいらと
しながら指先が疲れて力が無くなって来たと思っていた。
炎天下の作業で顔は汗と虫除けスプレイでひりひりなのに、洗顔時の手触りは
つるつるなのである。

指の先は花の渋と土やら水やらでひび割れているのに、指先の腹のところだけ
が妙につるつるなのに気付いた。
紐を結び易くするために、軍手の指を切り取ったものを履いて素の指で仕事を
していたために、両手の指紋が磨り減ってしまっていたのである。

指紋は一人一人違うもので個人の識別に使われることはよく知られているが、
物をつかんだり、紙やつるつるしたものを触る時に、こんなに重要な役目をし
ていたということを改めて実感した。

指紋といえば今まで4回採取されたことがある。
学校を出て薬品会社に勤めていた時、社員の更衣室で度々お金が無くなった。
警察が入って全員の指紋を取った時が初めてだった。
これは先輩同僚の犯行であった。

2回目は結婚式の控え室に、招待客を装った式場荒らしの専門家(?)が盗み
に入って、花嫁の私をはじめ数人のうっかり者が荷物やポケットに入れておい
た財布を取られた時だった。
会館から一言注意を貰っていれば起らなかった事件だったろうが、まさに招か
れざる客の仕業だった。

式が終わって疲れきって交番に赴いた新米夫婦は、指紋をとられたのである。
警官は夫に「すみませんね。ご主人より先に奥さんの手を握って」と言いなが
ら二人の指紋を取った。
後日取られた財布は中身を抜かれて、近くのホテルの手洗いのゴミ箱から見つ
かった。

どこかのお土産に貰った、「なんをさる(難を去る)」という猿の根付を着け
ていたのだが、赤い財布だったのがいけなかったのか、2万円ほどのお金だっ
たがあかんべーをされてしまった。
それ以後は赤い財布は持たないようにしている。

3回目はブラジル転勤で、当地でイデンチダージつまり身分証明書を作っても
らった時だ。
真っ黒いインクで手をべたべたに汚されて取られたことは覚えているが、両手
だったか片手だったかよく覚えていない。

4回目はシカゴ転勤の時でソーシャルセキュリティカードを作ってもらった時
だ。
これは右手の親指とあとどの指だったか2本の指紋だったと思う。
犯罪者でもないのに、58年の人生で4回も指紋を取られる人は、そんなには
いないだろう。

3人の子どもを育てて書道に表装に、ここ数年の農作業でがむしゃらに働いた
私の手は、すっかりごつくなって父の手とそっくりになってきた。
「ちょっと人前に出せないような手になってきていやだなあ」と息子にぼやい
たら、「一生懸命働いた自慢すべき手だよ」と慰められた。
まあいいか。これから嫁に行くわけではないし。

納屋にあった麻紐を使い尽くし、200メートル巻きのポリプロピレンの紐
10巻き使ってもまだまだ終わらないのだが数日前にあきらめた。
天気予報で霜注意報が出たり、疲れもたまって座ると寝てしまうようになった
からだ。
少し疲れを取らないと来るべき球根の掘り取り作業ができなくなる。

「台風で倒れた花がそのままのところもありますが、綺麗なところだけ見てい
ってください」と言う私に、「充分綺麗ですよ」と言ってくれる見学者の方。
10月25日号の花新聞の表紙に、卒寿の祝いにダリアに囲まれて満面の笑み
の父を載せて下さった。
父にとって何よりの記念と励ましで、有りがたく嬉しく思っている。

  ダリヤ摘めば鶏ないて細き雨明り  山頭火

  名残ダリヤ枯れんとして美しい  山頭火

  あらしのあとのしづけさの蝿で  山頭火

  石にとんぼはまひるのゆめみる  山頭火

  紫苑しみじみ咲きつづく今日このごろとなり  山頭火

  しっとり濡れて草もわたしもてふてふも  山頭火

  つかれた脚を湯が待っていた  山頭火

  つかれもなやみもあつい湯にずんぶり  山頭火

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    著者 佐藤北耀

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